Blog

ブログ更新情報


2023

ブログリレー4

ブログリレー4人目は齋藤宣樹さんです!


 

こんにちは。人文社会学部人文学科の齋藤宣樹です。4年生によるブログリレーということで、普段こういったものを書くことに慣れないのですが、精一杯これまで自分が考えてきたことを文章にしてみようと思います。

 

 

はじめに、日頃から東京都立大学硬式野球部を応援し、支えてくださっている皆さまに心より感謝申し上げます。皆さまのお陰で学生主体で運営される私たち硬式野球部が心置きなく活動できていますことを日々感じております。今後とも、私たちの後輩が続けていく硬式野球部の歩みを応援の程よろしくお願いいたします。

 

 

さて、ここから私自身の硬式野球部生活について振り返っていく訳ですが、実際のところ私が野球部に貢献できたことというのはあったのでしょうか。よーく考えてみるとあったような…いや、ないでしょう。少なくとも試合でのプレーにおいて私が野球部に貢献できたと感じた瞬間は全くありません。でもそれは当然のことで、硬式野球部に所属していたこの約3年とちょっとの間、公式戦へはほとんど出場していないですし、印象に残った自分のプレーやシーンなんかも全くないです。優勝した時も、入れ替え戦に負けた時も、最下位になった時も、いつもほんのりと悔しい感情を抱えてベンチにいた記憶があります。結局その悔しさを晴らすことが無いまま引退を迎えようとしているのですが、それでも大学在学中に野球を辞めようと考えたことはほとんどありません。やはり野球が好きだったのだと思います。

 

私は野球部4年生の中で一番野球そのものが好きだという自信があります。「野球が」ではなくて「野球そのものが」です。それはただプレイヤーとしてだけでなく、野球のフォーム理論や戦略、選手起用、分析など野球に関わる全てのものに興味を持ち、それを愛しているということです。どう考えても私はこの3年と少しの間、この気持ちだけで野球を続けてきたように思います。思い返してみれば大学に限らず、これまでの野球人生全てでそうやって野球と接してきました。一度辞めた野球に大学でもう一度戻ってこようと考えた時もそうです。サークルではなく軟式野球や準硬式野球でもない、それがこの都立大硬式野球部でした。それまでやったことの無かったピッチャーというポジションを選んだのも、ピッチャーに憧れがあったというよりも投げることが好きだから、さらに言うと「ボールをリリースする瞬間が好きだから」という少々気持ちの悪い理由からでした。あるいは野球という競技の中で唯一、試合を能動的に動かすことのできるポジションだからです。自身が活躍することよりも、自身が一番「野球」を感じられることを中心に据えて野球をしてきました。

 

このような思考で結果や勝敗は二の次にして大学野球生活を送っていたのですが、やはりというかなんというか、そのままそれを突き通すことはできませんでした。大学3年の夏から「幹部代」というポジションが待っていたのです。投手コーチとかいう仕事を自分でしょい込んでしまった私は、投手起用を通して試合の結果やチームの勝ち負けにこだわらなくてはいけなくなりました。そしてまた、私は自身の説得力の無さに気付くことになりました。どうも論理の正当性よりも結果の方を信じたがる傾向がある部員たちから見ると私の言葉は説得力を持たないようでした。いやよく考えてみると自然なことでしょう。それまで試合出場がほとんどなかったような選手がいきなり投手コーチになったからといって、それで何かその選手がすごい人になるなんてことはあり得ないのです。そういった事情の中で過ごしたこの1年間は、(ほかにも様々な原因があって)非常に苦しく、また気苦労の多いものでした。チームを形作り、まとめるものとして言わなければいけないことがあり、しかしそれは自身の説得力がないせいで受け入れてもらえない、そんなジレンマを抱えながらなんとかやっていくしかない状況はいつまでたっても変わらず、もちろんそれまでよりは練習に真摯に取り組んだつもりなのですが、やはりそんなにすぐには結果が付いてくるわけもなく、結局そのまま引退を迎えることになりそうです。私のやろうとしていたことは、きちんと後輩たちに伝わったのでしょうか。もう過ぎてしまった1年間のことを考えてもしょうがないことですが、やはり伝えておくべきだと思うので、この場を借りて、都立大の硬式野球部が進むべきであろうと私が考える方向性について記しておこうと思います。そしてこれが、新チーム始動当初から、監督の申と二人で考えてきたことの全てです。

 

まず大前提として考えなければならないことは、このチームの目標は1部に行くことであり、スポーツ推薦のない公立大学が成し遂げるには何らかの工夫と相当の努力が必要であるということです。場所や予算、選手の能力などにどうしても上限があるこの環境で、いかにして「ずっと強いチーム」を作り上げていくのかが達成のための必要事項になります。ある瞬間にすごい選手が入部してきたとしても、その選手だけでシーズンを乗り切るという方法は、選手を使い潰してしまうという面から考えて目標達成のために有効であるとは考えづらいでしょう。なんせ1部に行くためには10試合のリーグ戦を戦った後の入れ替え戦が一番重要なのですから、その入れ替え戦までに主力選手が、特にエースピッチャーが疲弊しきっているという状況は作ってはならないのです。そして、ある瞬間に1部昇格が目指せるチームができたとしても、主力選手に頼り切るような状態ではその主力選手が引退した後にどうするのかという問題が浮上してきます。スポーツ推薦制度がある大学ならば、その辺は気にしなくてもよいのですが、その年の新歓の努力次第で新入部員の数が決まってしまう私たちの野球部ではそうはいきません。となれば、1部昇格とその後の1部定着には「1シーズンをやり切った後でも余力が残るような投手戦略」と「どのような選手も4年間で試合に通用するレベルに到達するような育成システム」が必要となります。この2つが私と申が次の代に残そうと努力してきたものです。

 

もう勘のいい後輩たちは気付いていると思いますが、私が継投策にこだわり、申がことあるごとに「筋トレしろ」と言っていたのはこのためでした。「1シーズンをやり切った後でも余力が残るような投手戦略」のためには、投手の球数を減らすことや試合で十分に戦力になる投手を複数枚用意することが必要であり、その起用方法についてもある程度のノウハウの蓄積が必要です。「どのような選手も4年間で試合に通用するレベルに到達するような育成システム」の中心となるのは体づくりでしょう。技術や判断力などは努力で向上させることはできるものの、かなり難易度の高いものです。ならば一番取り組みやすく、誰でも少なからず効果があるものとしての筋トレに励むことは必要条件になってくる。継投策と筋トレをこのチームの文化として根付かせることが、私と申が行った「チームを強くするための戦略」だったわけです。そしてこうした努力というのはすぐに成果となって現れるようなものではなく、しかしどうやってでも継続していくことが重要になってきます。だから私たちの代は後進育成ということを強調してきました。つまり私たちは、チームを根本からつくりかえようとしていたことになります。2部の周りの大学が野球部を強化しはじめ、次々と有望な選手を入部させている様子を見て感じた危機感がこの取り組みのきっかけにあります。誰かがミーティングで言ったこともあると思いますが、やはりこのチームは昨年夏の時点で他の大学から取り残されつつあったのです。私や他の4年生たちは、この1年の間にやってきたことは間違いでないと信じています。私たちがまいた種が今後、具体的な形となることを切に願います。

 

最後にこれからチームをつくっていく後輩たちに、自分がこの都立大野球部での体験から得たことを伝えたいと思います。

 

それは、「幹部代はいずれ必ずやってくる」ということです。学生が主体となって運営されている私たち都立大野球部では、約30名の部員をまとめる役割の人間が必ず必要になります。30人というのは実は結構な人数で、直接民主制のようなチーム全体で合議を行うようなシステムでは必ず不都合が生じる瞬間があり、また誰にもチーム方針に対する決定権が無い状態では、中途半端な妥協案を取らざるを得なくなります。だから私たちの野球部には幹部代というものが存在するのであって、キャプテンも監督も幹部代から選出する必要があるのです。チームが一つにまとまるためには幹部代という役割が必要不可欠であり何事も幹部代が最終決定を下さなければならないということです。だから、幹部代に当たる部員たちは、それがどんなに適役で無かったとしても勇気を出して決断を下し、具体的なビジョンを持ってチームを眺めなければいけません。試合に出ていないからとか、向いていないからというような理由でそこから逃げることはあってはならない。あるいは、幹部代でない人たちは、(議論の最中は全くそうでなくてもいいのですが)具体的に何かをやると決定して実行に移す段階になったらそれに従わなければならない。いずれにせよ、部員全員が「チームで動くこと」を常に意識しなければならないということです。少し窮屈に感じるかもしれませんが、それは裏を返せば幹部代は周りの意見にとらわれすぎず自由にチーム運営をすべきだということでもあります。何となくではなくて目的があって何かを行うならば、それは成功したか否かを問わず、次の代の参考となります。外部コーチや監督のいない私たちのチームの強みはそこです。毎年色々な方向性を試せる、そしてそれがノウハウとして次の代以降に蓄積される。そういう風にして都立大の伝統が少しずつ少しずつ出来上がっていくのだと思います。「常に自分たちがチームの歴史を作っている」ということを頭において野球をしてほしいなというのが私からのお願いです。

 

ここまで色々と書いてきましたが、この3年と少しを振り返ってみると、私としてはかなりやり切った感があります。心残りがあるとすれば、大学では私本来の強みであったバッティングに取り組むことができなかったことと、小学生の頃からずっと応援してくれていた家族に自分が試合で活躍するところを見せられなかったことでしょうか。特に家族については、それが気がかりで引退を迷うくらいには申し訳なく思っています。野球素人だったのに私と一緒に熱心にフォーム理論について話し合ってくれた父や、いつも体の心配をしてくれて、高校野球を辞めると言った時には一緒に泣いてくれた母、いつもおいしいご飯を作ってくれて、どんな時にも私の選択を応援してくれた祖父母には感謝してもしきれません。家族や友人のことを考えていると、私がこうして生きて野球を続けてこれたのは、周りの人に恵まれていたからだといつも思います。…こんな風にいろんな方に感謝を述べてからではちょっと言い出しづらいのですがどうしても言いたいので書きます。引退について、後輩たちはさっさと引退しろよと思っていると思いますが、本当の本当に迷っています。誰か卒論を書きながら部活動を続けられる方法を思いついたら教えてください。

 

さて、どうにも興味が無い人にとってはあまり面白い内容であるとは言えませんが、果たして最初から最後まで読んでくれる人はいるのでしょうか。不安ではありますが、これまで私が考えてきたことや後輩たちに伝えたいことなどを全て書ききれたと思います。ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。


コメント
名前

内容