硬式野球部マネージャーの窪島です。先日、外野手の守備練習に参加してみたのですが、すぐに息があがってしまって、高校生のときに比べると体力が衰えたな~と実感しました? でも、久しぶりに選手たちの見ている景色が見えたような気がします?
さて、今週のテーマは「記録」についてです? 野球の記録といったら、どんなことを思い浮かべるでしょうか?
「勝利数」、「防御率」、「打率」、「本塁打」「打点」など、色々とありますよね。こうした成績の積み重ねは、選手が成長を感じることができるものでもあるため、選手のモチベーションにも大きく関わっていると思います。
試合中のベンチの様子。スコアラーは試合が終わるまで気が抜けません?
大学1年生の秋に、リーグ戦(連盟2部)の成績集計の担当を任されたことがあります。その時からよく考えているのが、「公式記録をつける意味とは何か」ということです。
私たちマネージャーの大きな仕事の一つに、リーグ戦の公式記録員というものがあります。ただ、公認野球規則を読んだことがある人なら分かると思いますが、自責点・打点などのルールは複雑で、大学から野球に触れる人がそれらをしっかりと理解して記録をつけることは、とても難しいことです。(何なら、野球経験者でも完璧に把握できている人はごく少数なのでは...) また、「記録員の判断に委ねる」とされているところもあるため、現場ではよく混乱が起こります。特に、エラーとヒットの二択問題はよく発生しますね。
このエラー・ヒット論争についてずっと思っていることがあるのですが、試合が終わった後、選手が記録員に「あの打席の記録はヒットになっているか」と確認に来てくれることがよくあるんですね。そこで、「あれはエラーにした」と返すと、ものすごく残念そうな顔をされてしまうことが多いです。打者であれば、ヒット1本分の損。守っていた野手であれば、守備率が下がってしまうためです。(安心するのは、自責点が付かなかった投手ぐらいでしょうか...)
エラーという判定をしても喜ばれることはない。それならば、野手にとってエラーという記録は、ただの欠点でしかないのでしょうか?
自分は、少し違うことを考えていて、際どい打球の処理にエラーという判定がつくということは、「その選手の守備力の基準が上がっている」とも言えるのではないかと思うのです。それは、「あの人ならアウトにできるはずだ」という「信用」とでも呼ぶべきものかもしれません。逆に、そうした打球が全部ヒットにされるということは、守備に関しての信用が薄いとも言えてしまうのではないか...と思ったりもします。
まぁ実際のところ、こうしたことまで考えて記録が行われているということはないのかもしれませんが、「エラー」=「悪」という固定観念に囚われて、選手の顔色をうかがいながら記録をつけるといったことになってほしくないな~と、リーグ戦で公式記録員を担当するマネージャーさんたちを見てきた自分なんかは思うわけです。
我々も人間ですから、選手に嫌われるようなことはしたくないというのが本音だと思います。場合によっては、選手たちにとって都合の良いような記録をつけることも不可能ではないので、そうした方が、気持ちが楽だなぁなんて考えてしまうこともあります。
ただ、それを行なってしまえば、途端に記録としての価値は下落します。その瞬間の感情は楽になるかもしれませんが、私情によって決められた記録は、将来にわたって価値を持つものにはなりません。
根拠を持ち、固い意思を伴ってつけた記録には「信用」が生まれます。過去の人々が公正な判断によって記録をつけてきたからこそ、その信用を基にして、現在、私たちが「○○年ぶりに記録を塗り替えた!」というニュースを見て、盛り上がったり祝福したりすることができるのだと思います。
私たちがつけている記録は、所詮、大学野球の、それもほとんど目立つことの無いものかもしれません。しかし、真剣に向き合っていけば、歴史がつくられていき、将来、自信をもって、この野球を語ることができるのではないでしょうか。自分はこんなことを考えて、記録をつけています。
今回のテーマを「記録」とした理由は、リーグ戦が終わって今季の成績が確定したことや、リーグ戦期間中の公式記録という仕事が、作業のようになってしまいがちであることがちょっと気になったからです。
今回の記事は以上となります! ちょっと異色の内容になってしまいましたね?
来週は、7月1日(土)に予定されている大阪公立大学との試合について掲載する予定です。
それではまた来週~
執筆者
東京都立大学硬式野球部
マネージャー 窪島一真(人文社会学部人間社会学科・3年)