ブログリレー6人目は申龍星さんです!
こんにちは。都市環境学部都市政策科学科4年の申龍星(しんりゅうせい)です!
まずはじめに、日頃から都立大学硬式野球部を支えてくださっているOB・OGや大学関係者の方々、保護者の方々、そして応援してくださる皆様にこの場をお借りしてではありますが感謝申し上げます。私が何不自由なく野球に打ち込めたのも皆様のご協力合ってこそだと実感しております。これからもよろしくお願い申し上げます。
ここからは私の拙い文章ではありますが見ていただけると嬉しいです。
私はこの3年間、肩の痛みに苦しまされたと感じております。浪人と長いコロナ禍を経て高校の時のような柔軟かつ強い体はなくなっていました。2年の秋までは満足に投げられず、やっと思い通りに投げられるようになってきた3年の春の終わり頃には中高の時に発症したイップスを再発症しました。4年春まで投げられるようになってはまた再発し、をずっと繰り返しています。そんな4年間なので私の大学野球でのハイライトはほぼありません。
そんな中で自分の存在意義をギリギリ保てたのは学生監督を務めさせていただいたことだと思います。私は特別指導力があるとか、策士であるとかそんなものではありませんでしたが、チームに残せたものはあると感じております。
まずは体作りに意識を向けたことです。この部活ではウエイトをする人や体重に気を配っている人が限られており、意識に大きな差がありました。2期連続で下位争いをする(この春で3期連続になってしまいました(泣))
チームにおいて明らかに足りていないのはフィジカルだと感じ、この冬はウエイトトレーニングをメニューに組み込み、体重も報告させるようにしました。まだシステムに改良すべき点はあると思いますがそれは後輩達に託そうと思います。とはいえ体づくりが大事だよ、という考えをチームに少しでも植え込むことが出来たのは1つの成果だと感じております。また、春リーグは終わっていませんが、このチームでは珍しく筋肉系の怪我をする人がほとんど出ていないのも成果だと感じています。
2つ目は技術にこだわることです。イップスに罹るやつが何を言ってるのかって思われるかも知れませんが、このチームでは感覚に頼っていて、高校までの練習の貯蓄を切り崩して試合に臨むような選手が多かったと思います。それではもったいないと感じ、主にピッチャーに対しては新たなメニューをどんどん提示して、ただやるだけではない、という認識を持ってもらうようにしました。この冬には外部のツールや指導に私自らが実験台となってそこで得た知識をアウトプットしていくこともしていきました。大人や指導者がいない分、自分達で全て考える必要があり、大変かも知れませんが、そこがまた楽しいことだと感じているので、後輩達にもぜひ技術の面のこだわりを持って欲しいと思っております。
3つ目はデータを用いることです。先ほどから述べているとおり、このチームは感覚で終わらせてしまう風潮があります。それは試合相手に対しても同様でした。そこでこの春には私と斎藤で相手のピッチャー、バッター、それぞれのデータを取り始めました。とても拙いもので分かりにくい面もあったと思いますが、意外とイメージと乖離している選手が多かったり、傾向に気づけたりと、ミリ単位ではありますが、役に立った部分もあったと信じたいです。
以上の3つが主に残せたものかなーと考えております。これらをしようと考えたのは、私達の代をいわゆる「再建」の代と位置づけたからです。選手が5人しかおらず、スタメンを張るような選手も1人のみであること、チームが頼っていたエースが抜け、チームの力も落ち、苦しい状況だったことが主な要因かなと思っております。もちろん4年生を情けをかけて全員出すこともできましたが、それでは私達の次の代、その次、その次・・・と進んでいく中では役に立たないと考えました。
私の代の最初のミーティングで優勝は現実的ではないという趣旨の発言をした際には大きな反感を買いましたが、今でもあまり後悔はしていません。どんな強いチームでも代の巡り合わせなどで落ち目はあり、その落ち目が私達の代であると感じていたからです。私の好きなNBAでも「タンク」といってチームの落ち目のシーズンにはスターを放出し、わざと若手を試合に出し経験を積ませながら負けて、ドラフトで高順位の新たなスターを得て(レギュラーシーズン下位のチームはドラフトで良い順位を得ることが出来ます)、よりよいチームにしていくというシーズンを通しての考え方があります。もちろんわざと負けたりはしてはいませんが、多くの経験を積むことのできた後輩もいるのでこれからのシーズンへ向かって良い踏み台に私達の代がなれたら幸いです。
と、自分語りはここまでにしてここからはせっかくなのでお世話になった方々に感謝を伝いえたいと思います。
同期たちへ
色々?あったし、7人全員集まるのもまれだったけど、いい同期でした。でこぼこな7人だったけど、あなたたちがいなければ、コロナの辛い時期も乗り越えられなかっただろうし、監督も続けられなかったと思います。まだ続くけど、引退でもしたら飲みとか旅とか行きましょう。向畑もちゃんと来てね!
後輩たちへ
こんな結果も出てないし、威厳もない監督について来てくれてありがとう。
このチームの未来は明るいと思います。3年生はチームを勝たせられる存在に。2年生は大人な存在に。1年生は先輩を脅かす存在に、なってくれれば幸いです。
そうはいってもみんなまだまだ弱い。精神的にも、身体的にも、技術的にも。努力は必ず実るとは限りません(私はそうでした)が、正しい努力をし続けてください。ポテンシャルは無限にあると思います。がんばれ!!
マネージャーさんへ
毎日、私達が何不自由なく練習できていたのは他でもないマネージャーさん達のおかげだと心の底から思っております。ありがとうございました。あと半年よろしくお願いします。これからもチームを支えていってください。
大槻監督へ
私が監督をする際には「監督さんならどうする」と常に考えておりました。それくらい私の中では偉大な人です。監督さんに教えていただいた感謝や、日々の生活の中での所作(靴をそろえるなど)は大学で色々な人に出会う度に貴重なものであったと実感しております。また、心が折れそうになったときには監督さんに教えていただいた吉田松陰の「覚悟の磨き方」を今でも手に取っております。今はまたイップスになってしまいましたが、監督さんの「イップスは技術不足」という言葉を思い出して練習しています。
監督さんのくださった言葉や考えは大きな財産となっております。ありがとうございます。
これからも自分の可能性に蓋をせずにできるところまで野球は続けていくつもりです。また、飲みに連れて行ってください!!
がんばる、がんばる
両親へ
小学校から大学まで野球をやらせてくれてありがとう。あなたたちの支えが無ければここまで続かなかったと思います。
特に高校の時にはお母さんは朝早くからどデカいお弁当を作ってくれたり、整体に通わせてくれたり、応援に来てくれたりと、あのころの生活は今思えばとんでもないものですが、支えてくれてありがとう。
お父さんも小さい頃にはいっぱいキャッチボールをしてくれてありがとう。上京する前にけんかして、それ以来コロナで会えず、最後しか会えなかったのはとても心残りですが、あなたは寡黙でコレクターで最高な父親でした。息子は大学でも元気に野球をしております。これからも頑張るから天国で見守ってくれたら嬉しいです。
最後に私の野球人生に関わってくださった全ての皆様に感謝申し上げたいと思います。
ありがとうございました!!!
あと1戦、勝って締めくくりましょう!!!