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2026

都立大野球部活動報告ブログ vol.99

都立大硬式野球部ブログをご覧の皆さま、こんばんは。

学生コーチの市岡広大(人文科学研究科・博士後期2年)です。

初めに、日頃から都立大硬式野球部をご支援くださいます OB・OGの皆さまや保護者の皆さま、そして弊学や東京新大学野球連盟関係者の方々に、この場をお借りし感謝申し上げます。

ついに秋季リーグ戦開幕まで1週間となりました。6月から新体制となって早3ヶ月が経とうとしているわけです。来週以降、本格的に“二部優勝・一部昇格”に向けて進してまいりますので、皆さまにおかれましては、是非とも厚いご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。

【活動報告】

本日8/27(木)は、火曜日から実施している夏季合宿の最終日となりました。午前中のみの短い時間ではありましたが、シートノックとバッティングローテに取り組み、各自の(主に打撃の)課題に向き合えた練習になったことと思います。

なお、バッティングローテのうち、フリー打撃では2部各チームのエース級投手を想定した 135km/h 前後の速球に球種を設定して実施しました。当初はその球速に対応しきれていない選手もいましたが、さすがと言うべきか、しばらくすると主力選手中心に外野まで強い打球が飛ぶ様子も見られました。

ここまでオープン戦期間を通じて打力強化に取り組んできましたが、その甲斐あって、全体として昨季よりも打力が底上げされているように思います。だからと言って簡単には打ち勝てないのが現実ではあるのですが、それでもこの取り組みが選手たちの自信となり、少しでも勝利につながることを願っています。

合宿の個人的総括としては、一当たり前のことではありますがーやはり達成できたこととできなかったことの双方があるなと思います。3泊4日という長いようで短い時間の中で、選手各自にもやりたくともできなかったことがあったと思います。

それでも、今季は今回の合宿を踏まえて臨むしかありません。過去を活かすも殺すも、現在そして未来の取り組み次第です。終わった後に後悔のないように~と言うのは非常識かもしれませんが、後々合宿でああしておけば良かった・・・と感じることのないリーグ戦になることを祈るとともに、勝利に少しでも貢献できるよう、微力ながら尽くしていきたいと思います。

【母校自慢】

さて、今月のお題である“母校自慢”についてですが、その前に僕の母校である岐阜県立中津高校(以下、中津高)について軽く紹介しようと思います。

中津高は、岐阜県の東端に位置する中津川市内唯一の普通科高校です。とはいえ、市内唯一ということもあり、偏差値は50しかありません(「みんなの高校情報」8/26調べ)。

都立大野球部には偏差値60~70台の高校出身者がゴロゴロいますが、おそらく偏差値50の高校出身は僕だけでしょう。

かと言って、スポーツが特段強い・有名なわけでもありません。唯一と言って良いのがウェイトリフティング部ですが、それ以外は現在ではどこもパッとしない印象です。かく言う野球部も2~3回戦に進出すれば大健闘といったところで、僕の在学中は3年間毎年初戦敗退でした。

勉学もスポーツも平凡な、どこにでもある地方の「白称進学校」。それが中津高を適切に表す表現かなと思います(中津高出身者、在校生には怒られるかもしれませんが…・・)。

では、そんな中津高に自慢と言うべきものがあるのでしょうか。正直パッとは出てきませんが、その中で思いつくのは、「地域密着型」の教育でしょう(以下、基本的には僕の在学中の記憶なので、今はそうでない可能性もあります)。

中津高の「地域密着型」教育の一つが、単位制の選択科目の中に「地域史研究」とでも言うべき科目があることです。

3年時の選択科目にあるため、中堅私大から国公立レベルの受験を目指す特進クラスの生徒はまず選択することのない科目ですが、推薦入試が多く、就職をする生徒もいる普通クラスでは、フィールドワーク中心の授業内容もあり比較的選択される科目になります。

この「地域史研究」授業でよく題材として扱われる(らしい)のが中山道の歴史です。

中山道は江戸・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ近世の大街道ですが、中津川市の領域内には中津川宿・落合宿・馬籠宿と3つの宿場がありました。

この3宿場は、幕末~明治期にかけて歴史の表舞台に登場します。公武合体路線の象徴として第14代将軍・徳川家茂へ降嫁した皇女・和宮が江戸へ向かう際に立ち寄ったのを皮切りに、長州藩士・桂小五郎(後の木戸孝允)が逃亡時に隠れ家として使用しただの、国学の流行から尊王攘夷運動の熱が他の地域よりも高まっただの、明治の文豪・島崎藤村が生まれ育っただの、いくつもの歴史的事実があります。

こうした地域の歴史をただ座学として学ぶだけでなく、実際に現地にも足を運んで体験として学習するのが「地域史研究」の授業でした。地元に就職する人も一定数いる中で、地元について学ぶ機会は今思えばとても貴重だったのだろうと思います。

また、3宿場のうち、馬籠宿は現在では観光地としても有名ですが、観光客としてひときわ多いのが訪日外国人になります。そうした中で、僕の在学時には、訪日外国人に馬籠宿を案内する英会話ボランティアの活動も実施されていました。

中津高は留学にも力を入れていることもあり、英語教育の一環としての意味合いも十分あったのだと思いますが、「地域密着型」の活動であることに変わりありません。現在も行われているかは不明ですが、こうした活動を見ても、中津高が地域の歴史や現況を熱心に教育に取り入れる取り組みをしていたことがわかります。

最後に、こちらも「地域密着型」教育の一環になるかと思いますが、中津高の体育祭では毎年必ず出身地域ごとに組(軍)が分かれていました。僕の在学時であれば、中津川駅を中心とした市街地出身者が橙軍、市北部出身者が蒼軍、市西部+隣の恵那市以西出身者が紅軍というように分けられ、競技や応援合戦を行ないました。

このシステムの利点は何といっても同じ中学出身者で固まれるということであり、さらに3年間それが変わらないため、学年単位で見れば、軍としての結束力が常に維持されることになります。地域での団結が勝利に直結するということで、このシステムも中津高の「地域密着型」教育の一環だったのでしょう。

母校紹介の部分で書いたように、確かに我らが中津高校は偏差値50の「自称進学校」であり、その点ではそこまで存在価値がないように思えるかもしれません。

しかし、少子化と人口の都市部一極集中により否が応でも過疎化が進みつつある地方においては、こうした「自称進学校」が地域内の紐帯として機能することで、地域としての一体感を維持できている例が少なくないと思います。「地域密着型」教育はその実践として進学実績と同等以上の価値を持つはずです。

その意味で中津高は、平凡とは言え中津川の誇りであり、シンボルなのだと思います。




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