ブログリレー6人目は丹下 文貴さんです!
経済経営学部4年丹下文貴です。
はじめに、日頃から東京都立大学硬式野球部の活動を支えてくださる関係者の皆様には大変お世話になっております。いつもありがとうございます。
てことでいよいよか、お酒飲みながらダラダラ書こう。
もうすぐ引退か、あー俺野球頑張ったな、マジで…
記憶にある最初の野球は6歳の時に住んでたマンションの前の公園でお父さんとしたキャッチボールか。
それから23歳になった今迄の約17年間、常に生活の大部分を野球が占めてたな。
なげーな…
その長い長い野球生活を語る上で欠かせないのはやっぱりお父さんとの特訓かな。
記憶にある最初のキャッチボールから今迄お父さんは常に俺に厳しくも丁寧に野球を教えてくれた。
「肘を高く上げろ」「バットは内から出せ」なんて2万回位言われたんじゃないかな、マジで。
高校時代、朝6時半から庭でやるシャトル打ちは確実に自分のバッティングを向上させてくれた。当時はその時間が憂鬱で練習前によく流れるHey!Say!JUMPのカレーのCMと自分の温度差からHey!Say!JUMP嫌いになったぐらいに…
ただそれだけ自分に真剣になってくれるお父さんの前でヒット打てた時、喜んでる姿を見ると本当に嬉しかったな。
高校野球最後の試合を不完全燃焼で終えた帰り道、自分の不甲斐無さと、ここまで教えてくれたお父さんと支えてくれたお母さんに結果で応えたくて大学でも野球を続けることを決意したっけ…
そんな感じで始めた大学野球だけど、本当色々あったな。上手くいかないと不機嫌になったり、納得いかないことにはとことん楯突いたり、みんなには散々迷惑かけたよな。
それでもキャプテンを務めた3年秋にリーグ優勝したこと、日常の他愛無い会話、溜まりに溜まったストレスとアルコールを吐き出しまくった飲み会だったり思い出はたくさんある。
本当同期、先輩、後輩みんなに恵まれたチームだったなって思う。
ダメだこんなに長く続けたからか、止め処なく言葉が出てくる。まぁブログってそういうもんでしょ。頑張ってまとめよ。
お世話になった先輩へ、
人一倍自己主張の強い後輩で迷惑かけました。でも、グラウンドの中でも外でも優しく接してくれて本当に嬉しかったです。本当に良い先輩ばっかりでした。
頼もしい後輩へ、
みんなの向上心の高さはチームに良い影響与えまくってた。野球部がより良いチームになるためにもっとガツガツしてて良いと思うよ。そこを上手くまとめて昇華していくのは先輩の役割だから。頼りにしてるよ。
そして同期へ、
初めて会った時から振り返るとあっという間だな。みんなと会った時のことはあんまり覚えてないけど、みんな良いやつそうって思った気がする。その直感は間違ってなかったってずっと思ってる。
天候にもよるけどあと1ヶ月で引退、悔いなくやりきった後はみんなでぱあーっと美味しいお酒でも飲もう。下戸とか関係ないからな須田高木市岡。
正真正銘野球人生最期の集大成でもある大学野球締まっていこう!
ほろ酔いで書いたからもう本当だらだらとした文だけどこれにて、以上。
最後ちょっと追伸というか余韻というか残り火みたいな
高木に練習でデッドボール当てられまくった代わりに日頃のストレスぶつけたことも、寒いギャグが実は俺のツボにはまってたことも、
須田に「黙ってセンター前打てよ」って言ったり、当たり前のように課題の答え送ってもらったり、「あいみょん最近調子悪いな」って話したことも、
はとなつの何気ない可愛い仕草と会う度にちっちゃくなってる感に癒されたこと、トス上げてくれる時の球の速さも、
市岡を俺の自主練とchill timeに連れ回したり、面白い韻を考えたら感想貰ったことも、
竹岡に「ゲームばっかりするなよ」って言ったり俺の好きな漫画勧めたことも、意外と歌上手いことも、
千夏に行きつけのバーの客とママみたいなノリで色んな弱音吐いたり、不満ぶつけたりしては、優しい言葉をかけてもらったこと、ベロベロになるまでお酒飲んだこと、
かくたつに車運転させまくったり、ローソン前で体内のアルコール全てを吐き出した姿を見たことも、ポルノばっかり聴かされたことも、
善波にドミノの女子イジリしたり、性欲マンって呼ばれたり、セカンドからチェンジアップ投げられまくったこと、日野キャンのエレベーターで奇跡の遭遇を果たしたも、
ゆっきーとジム行く約束するとお互いダラダラし過ぎてどんどん集合時間遅れたこと、YOASOBIの群青かかると絶叫したり、コロナ禍に2人で競技場でキャッチボールしたことも、
全部いい思い出
次回は善波 藍斗さんです!